2019年 01月 26日
ワールド・オデッセイ
2019年 01月 24日
モトコーの生い立ち 村上しほりさんの著書「闇市からの復興」より。
まとめました。
モトコーがあるJR西日本神戸線の高架橋は1945年の戦災にも耐え、また50年後の
1995年の阪神淡路大震災にも耐えました。
神戸の国有鉄道は1918年から1935年にかけて高架化されています。
モトコーがある元町高架下通は今年2019年で築87年になります。
震災後の補強では帯鉄筋を増量して新設、あるいは修復できるものは
修復して鋼板で覆われました。
JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナント
複雑な借地関係は契約期間も異なっています。
JR西が高架通商店街の商店主に借地契約満了となる2017年3月以降の退去を
要請しました。
今後の地震や防火対策などのためです。
高架通商店街とJR西との契約は山側が2017年3月、浜側が2018年3月末で満了と
なりました。
2016年11月29日に行われたJR西が店主らに対しての説明会では次の通りの
計画だということです。
〇 工事は2017年秋頃より順次進められ、1,4,5番街をJR西が直接運営する。
〇 2,3,6,7番街に既存の店舗を集約する。
〇 2024年度中の完成を目指し3,7番街は2018年4月から、2.6番街は2020年4月から、
1,4,5番街は2022年4月から段階的に着手する。
商店街の店主たちは、モトコーを守る会を結成、「モトコー勉強会」
「モトコーを守る会」「モトコー店主会」を結成し207年8月には「モトコーを守る会」
により3番街に掲示板が作られました。
3番街を歩くとモトコーを守ろうといういろんなちらしや垂れ幕があります。
もともと高架橋下部空間への店舗建設は当時の建設省や神戸市によって計画されていた
ものでした。
しかし、1937年の日中開戦により建築建材資材の統制が始まり実現されなかったのです。
高架下の山側では部分的に鉄道省の倉庫が設けられました。
中央と浜側は神戸市が鉄道省から道路用地として無償で借り受けたままの空き地を暫定的な
歩道や公園として用いている間に、終戦を迎えました。
終戦後
終戦後この高架下には市内最大規模の闇市が発生し三宮、元町、神戸駅のあいだは大いに
にぎわいました。
闇市は公認の店ではなく無許可の出店でしたが、食料も衣類も何もかも不足した
困窮の時世ということもあり、市は特別措置として浜側に立ち並んだ店舗群に対して
道路占領許可と露店営業許可を出し連続型店舗を形成する動向も容認。
最初「闇市」と称されたこの商店街も商店主たちがイメージアップのため「自由市場」と
呼称されるように働きかけ、これが定着。
1946年上半期にはこれらの店舗群は「松明会」という博徒系組織に統括され場代を徴収されるように
なった。
しかし、この場代徴収に不満を持った商店主たちは1946年12月に元町高架下商業協同組合を
結成するに至る。
1947年~1949年に発令された飲食営業緊急措置令、並びに飲食営整法により闇営業であるとされ
営業が規制されることになったが、この時外食券食堂、旅館、喫茶店に限った営業許可が
下りたことから「喫茶店」「古着屋」として申請し営業を続ける店舗の割合が増えた。
商店街は営業権獲得に向けて20年も交渉を続けた。
1953年の道路法改正によって占用許可の基準が明記されたのち、国鉄と神戸市、地元店舗群の
三者による協議折衝が続く。
最終的に国鉄が譲歩し、1976年、元町高架通商店街は統一的な店舗形態として全面改築。
今に至っています。
JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナントという複雑な借地借家形態は
高架下浜側だけのものであり、山側は当初からJR(国鉄)と個々の店舗とのあいだに直接契約が
結ばれていました。
2019年 01月 22日
小野八幡神社

この八幡神社があるそごうから南の地域は、戦後イーストキャンプが広がっていました。
そのころのイーストキャンプの広がりを見ると、この小野八幡神社だけは接収をせずに
ぽっかりとこの敷地が外されていました。
村上かほりさんの闇市や戦後の神戸についての勉強会で、やはり日本人の信仰の対象である
神社やお寺は、当時のGHQも配慮したものであろうということでした。
当時神戸を占領していたGHQについいてはほとんど資料が残っていないのだそうです。
新聞や本も検閲が入るので、GHQについて書かれたものが非常に少なく当時の方々に
お話を伺って記録に残すということが大事だと思います。
接収のために消滅してしまった小野中道商店街のことなども神戸の歴史の中で
もっと詳細に記録にしておかなくてはいけません。
当時の焼け跡の街並みを写真に撮ることも禁止されていたようで残っている写真は
限られています。
当時の写真が少ない理由は、当時の一般家庭の写真機が空襲のためにやけてしまったこと、
高価だったこと、GHQに禁止されていたので許可された人だけが撮影できたことなどの
ようです。
2019年 01月 19日
市章山の灯りがLEDに。

市章山も半旗のつもり?

ちょうど市章山の電球をLEDに変えているそうです。
今、半分変えたところ。
今しか見れないレアな光景だとか。

元のKOBEと北前船に戻りました。

市役所のひさし?が街の灯りに反射していました。
2019年 01月 17日
阪神淡路大震災から24年 神戸の夜景

震災のモニュメント前では、「しあわせ運べるように」を合唱しています。
今日は朝晩は寒かったですが、昼間は日差しで暖かでした。

いつまでも語り継いでいきます。



国際会館の屋上の「希望の灯り KOBEキャンドル」
2019年 01月 17日
あれから24年経ちました。

もう24年も経ちました。
この東遊園地から見る景色も、マンションが建ち関電ビルが半分隠れる
ようになりました。

震災ウォーキングの最終地点が東遊園地になっているようなウォーキングの
団体も多かったです。
夜は会社帰りの皆さん。
黙祷の時はたくさんの人でした。

来年は25年。
節目の年でもあります。
2019年 01月 16日
鈴木薄荷 ポートアイランド
唯一カネ辰、鈴木の名前を残す会社です。

通ってもあまり臭いはしませんでした。

新しくなった社屋で大きく飛躍して鈴木の名前をアピールしてください!
2019年 01月 14日
ポートアイランドの絶景の遊歩道
その一つに西端の遊歩道から見る神戸市街地、明石海峡大橋、空港島大橋があります。

つくられているので眺めは絶景です。
神戸港を出入りする港の関門も見渡せます。


「神戸港」の灯台も。

橋の根元までこの遊歩道は続き、時折ランニングする人や散策する
人たちに出会う以外は鳥たちがのんびりすごす場所です。
希望としては大学がある、しおさい公園からつながってくれれば最高なのにと
いつも思っています。
2019年 01月 13日
阪神高速の資料保管庫
東灘区深江浜町にあります。

ことができました。
深江駅からシャトルバスも出ていて助かりました。
1.17も近いのでたくさんの方が見学に来られていました。
写真は阪神高速の被害状況です。
被害の状況を色分けしていて、赤いところが甚大な被害をうけたところですが
橋桁は赤でなくともそれを支える橋脚はたくさんのところが赤になっていました。

橋桁が落ちているところや壊滅しているところは、もう撤去しかないのですが
一見、なんとか支えているような橋脚の補修はどのようにしたらいいのか
前例のない被害に職員の方たちは試行錯誤しながら復旧作業にかかりました。

説明です。

しかし、復旧予算や一刻も早い工事の完成のため、いろんな知恵で当時を
乗り切りました。

当時は信じられない光景があちらでもこちらでも見られたのでしょう。
そして、当時の展示物とともに、これらの経験をふまえて未来への構造物の提案も
されています。
強度を高めた構造も大事ですが、どこか壊れる、変形するところを作り、構造物を
壊す力を逃がすという観点から、新しい形の橋脚などが考えられています。
自然の力は途方もないです。
でも今までの経験から新しい対策を考える力を人は持っているんだな、自然に比べて
ちっぽけな人間だけど頭を使ってがんばろう!皆!と思いました。
2019年 01月 11日
ポルト・ポルテ 乙仲通り

冬は外はちょっときついですが。。。((+_+))

この近くに来たついでに、けっこう一人でも入れそうです。
テーブル席の写真は撮っていませんが、壁には素敵な海岸風景の写真が。

寒い冬にはうれしいですね。
スープは手が込んでいて、ありきたりの薄いものではありません。

しかし、chef一人なので混んでくるとちょっと時間がかかりそうです。

海岸通り、海辺のレストラン sea shoreとあるように海岸を意識した
リゾートっぽい雰囲気が落ち着けます。
HPを見ると、chefおすすめはハンバーグとか。
パスタもおいしそうです♪