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神戸トピックス

花時計の元の場所がほぼ更地になりました。
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たくさんあった木々もそれぞれ南側の東遊園地のあちこちに移植された
ようです。
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根元の土が新しいのですぐにわかります。
噴水は取り払われ、花時計の盛り土らしきものが
現れました。
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長年噴水があがっていた光景を見ていたので、なんだか頭の切り替えが
難しいです。(-_-;)



by kobeport | 2019-01-30 22:10 | 神戸 | Comments(0)

ワールド・オデッセイ

1月24日の朝から5日間の神戸港停泊です。
28日(月)に上海に向けて出港。
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今日は雪が降りました。
あしたも寒いそうです。(-_-;)
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4突と3突の間に妙なものが。。。
ボーリングのようにも見えますが。。。
何をしているのでしょうね?


by kobeport | 2019-01-26 21:44 | 客船 | Comments(0)

「神戸闇市からの復興」村上しほりさんの著書からモトコーの生い立ち?を
まとめました。

モトコーがあるJR西日本神戸線の高架橋は1945年の戦災にも耐え、また50年後の
1995年の阪神淡路大震災にも耐えました。
神戸の国有鉄道は1918年から1935年にかけて高架化されています。

モトコーがある元町高架下通は今年2019年で築87年になります。
震災後の補強では帯鉄筋を増量して新設、あるいは修復できるものは
修復して鋼板で覆われました。

JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナント
複雑な借地関係は契約期間も異なっています。
JR西が高架通商店街の商店主に借地契約満了となる2017年3月以降の退去を
要請しました。
今後の地震や防火対策などのためです。
高架通商店街とJR西との契約は山側が2017年3月、浜側が2018年3月末で満了と
なりました。
2016年11月29日に行われたJR西が店主らに対しての説明会では次の通りの
計画だということです。

〇 工事は2017年秋頃より順次進められ、1,4,5番街をJR西が直接運営する。
〇 2,3,6,7番街に既存の店舗を集約する。
〇 2024年度中の完成を目指し3,7番街は2018年4月から、2.6番街は2020年4月から、
  1,4,5番街は2022年4月から段階的に着手する。

商店街の店主たちは、モトコーを守る会を結成、「モトコー勉強会」
「モトコーを守る会」「モトコー店主会」を結成し207年8月には「モトコーを守る会」
により3番街に掲示板が作られました。
3番街を歩くとモトコーを守ろうといういろんなちらしや垂れ幕があります。

もともと高架橋下部空間への店舗建設は当時の建設省や神戸市によって計画されていた
ものでした。
しかし、1937年の日中開戦により建築建材資材の統制が始まり実現されなかったのです。
高架下の山側では部分的に鉄道省の倉庫が設けられました。
中央と浜側は神戸市が鉄道省から道路用地として無償で借り受けたままの空き地を暫定的な
歩道や公園として用いている間に、終戦を迎えました。

終戦後
終戦後この高架下には市内最大規模の闇市が発生し三宮、元町、神戸駅のあいだは大いに
にぎわいました。
闇市は公認の店ではなく無許可の出店でしたが、食料も衣類も何もかも不足した
困窮の時世ということもあり、市は特別措置として浜側に立ち並んだ店舗群に対して
道路占領許可と露店営業許可を出し連続型店舗を形成する動向も容認。
最初「闇市」と称されたこの商店街も商店主たちがイメージアップのため「自由市場」と
呼称されるように働きかけ、これが定着。
1946年上半期にはこれらの店舗群は「松明会」という博徒系組織に統括され場代を徴収されるように
なった。
しかし、この場代徴収に不満を持った商店主たちは1946年12月に元町高架下商業協同組合を
結成するに至る。

1947年~1949年に発令された飲食営業緊急措置令、並びに飲食営整法により闇営業であるとされ
営業が規制されることになったが、この時外食券食堂、旅館、喫茶店に限った営業許可が
下りたことから「喫茶店」「古着屋」として申請し営業を続ける店舗の割合が増えた。
商店街は営業権獲得に向けて20年も交渉を続けた。

1953年の道路法改正によって占用許可の基準が明記されたのち、国鉄と神戸市、地元店舗群の
三者による協議折衝が続く。
最終的に国鉄が譲歩し、1976年、元町高架通商店街は統一的な店舗形態として全面改築。
今に至っています。

JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナントという複雑な借地借家形態は
高架下浜側だけのものであり、山側は当初からJR(国鉄)と個々の店舗とのあいだに直接契約が
結ばれていました。















by kobeport | 2019-01-24 22:55 | 神戸 | Comments(0)

小野八幡神社

新しく建て替えられた小野八幡神社です。
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今、工事中はその前に建つ高層マンションの建設です。
この八幡神社があるそごうから南の地域は、戦後イーストキャンプが広がっていました。
そのころのイーストキャンプの広がりを見ると、この小野八幡神社だけは接収をせずに
ぽっかりとこの敷地が外されていました。
村上かほりさんの闇市や戦後の神戸についての勉強会で、やはり日本人の信仰の対象である
神社やお寺は、当時のGHQも配慮したものであろうということでした。

当時神戸を占領していたGHQについいてはほとんど資料が残っていないのだそうです。
新聞や本も検閲が入るので、GHQについて書かれたものが非常に少なく当時の方々に
お話を伺って記録に残すということが大事だと思います。

接収のために消滅してしまった小野中道商店街のことなども神戸の歴史の中で
もっと詳細に記録にしておかなくてはいけません。
当時の焼け跡の街並みを写真に撮ることも禁止されていたようで残っている写真は
限られています。
当時の写真が少ない理由は、当時の一般家庭の写真機が空襲のためにやけてしまったこと、
高価だったこと、GHQに禁止されていたので許可された人だけが撮影できたことなどの
ようです。





by kobeport | 2019-01-22 21:58 | 神戸 | Comments(2)

市章山の灯りがLEDに。

1.17の夜、市役所の展望室から見た市章山の灯りです。
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あれ~何か変?
市章山も半旗のつもり?
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傍らの警備の方にお聞きしました。
ちょうど市章山の電球をLEDに変えているそうです。
今、半分変えたところ。
今しか見れないレアな光景だとか。

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KOBE 1.17の山麓電飾もこの夜で終わり。
元のKOBEと北前船に戻りました。
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市役所の下から見上げたKOBE 1.17.
市役所のひさし?が街の灯りに反射していました。


by kobeport | 2019-01-19 20:33 | 神戸 | Comments(0)

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市役所からです。
震災のモニュメント前では、「しあわせ運べるように」を合唱しています。
今日は朝晩は寒かったですが、昼間は日差しで暖かでした。
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「つなぐ」
いつまでも語り継いでいきます。
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今日まで「KOBE 1.17」の電飾でした。
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山麓電飾は左から「いかり」「市章」「KOBE 1.17」そして
国際会館の屋上の「希望の灯り KOBEキャンドル」



by kobeport | 2019-01-17 21:41 | 阪神淡路大震災 | Comments(0)

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早いです。
もう24年も経ちました。
この東遊園地から見る景色も、マンションが建ち関電ビルが半分隠れる
ようになりました。
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昼間は先生に引率された学生さんたちのお参りが多かった気がします。
震災ウォーキングの最終地点が東遊園地になっているようなウォーキングの
団体も多かったです。
夜は会社帰りの皆さん。
黙祷の時はたくさんの人でした。
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今年も雪地蔵を作ってくださってありがとうございます。
来年は25年。
節目の年でもあります。


by kobeport | 2019-01-17 20:44 | 阪神淡路大震災 | Comments(0)

以前灘区にあった鈴木薄荷がポートアイランドに引っ越しました。
唯一カネ辰、鈴木の名前を残す会社です。
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以前の会社の前を通る時、薄荷の臭いが強烈でしたが、ポーアイの新社屋の前を
通ってもあまり臭いはしませんでした。
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最近、ハーブ園でも商品を見かけるようになりました。
新しくなった社屋で大きく飛躍して鈴木の名前をアピールしてください!


by kobeport | 2019-01-16 21:58 | 神戸 | Comments(0)

ポートアイランドから見る景色は本当に素晴らしいところが多いのですが
その一つに西端の遊歩道から見る神戸市街地、明石海峡大橋、空港島大橋があります。
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西にある大学から少し南のところから作られている遊歩道ですがちょっと高く
つくられているので眺めは絶景です。
神戸港を出入りする港の関門も見渡せます。
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遊覧船もすぐ近く。
「神戸港」の灯台も。
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向こうに見えるのは空港島大橋。
橋の根元までこの遊歩道は続き、時折ランニングする人や散策する
人たちに出会う以外は鳥たちがのんびりすごす場所です。

希望としては大学がある、しおさい公園からつながってくれれば最高なのにと
いつも思っています。


by kobeport | 2019-01-14 21:21 | 神戸 | Comments(0)

阪神高速の資料保管庫

阪神高速が阪神淡路大震災で被災した経験を伝える「震災資料保管庫」が
東灘区深江浜町にあります。
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いつもは見学するためには予約が必要なのですが、昨日と今日は予約なしで見学する
ことができました。
深江駅からシャトルバスも出ていて助かりました。
1.17も近いのでたくさんの方が見学に来られていました。
写真は阪神高速の被害状況です。
被害の状況を色分けしていて、赤いところが甚大な被害をうけたところですが
橋桁は赤でなくともそれを支える橋脚はたくさんのところが赤になっていました。
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実際に復興にかかわった元職員の方が語り部として話をしてくださいました。
橋桁が落ちているところや壊滅しているところは、もう撤去しかないのですが
一見、なんとか支えているような橋脚の補修はどのようにしたらいいのか
前例のない被害に職員の方たちは試行錯誤しながら復旧作業にかかりました。
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実際に破損した部分が展示されているので、非常にわかりやすい
説明です。
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鉄で作られている橋脚がこんなになってしまうなんて信じられないことです。
しかし、復旧予算や一刻も早い工事の完成のため、いろんな知恵で当時を
乗り切りました。
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これは提灯座屈といって上下に押されてへしゃげています。
当時は信じられない光景があちらでもこちらでも見られたのでしょう。

そして、当時の展示物とともに、これらの経験をふまえて未来への構造物の提案も
されています。
強度を高めた構造も大事ですが、どこか壊れる、変形するところを作り、構造物を
壊す力を逃がすという観点から、新しい形の橋脚などが考えられています。
自然の力は途方もないです。
でも今までの経験から新しい対策を考える力を人は持っているんだな、自然に比べて
ちっぽけな人間だけど頭を使ってがんばろう!皆!と思いました。

by kobeport | 2019-01-13 22:08 | 阪神淡路大震災 | Comments(0)