2008年 11月 02日
カラオケ発祥の地 神戸
「神戸と外国文化」
面白そうなので図書館で借りてきました。
京都精華大学人文学部の学生さんが国内フィールドワーク報告書として
出版しました。
国内フィールドワーク「神戸と外国文化」を受講した15名の学生たちです。
第一集は1993年4月に出版できたのですが、第二集は1994年春から
とりかかり、本格的な調査にかかった
時に阪神淡路大震災が起こりました。
毎週のように神戸に通ってこられ、関係者に取材し調査されていたのです。
結果的には学生さんたちは震災前と震災後との神戸を訪ねることに
なるのですがいろんなテーマに取り組まれ第二集は、そんな神戸の
状態の中から1995年6月にまとめられています。
壊れた街を目の当たりにみて神戸の復興を祈る言葉が皆さんのフィールドワークのまとめに
書かれています。
どのテーマも興味深いのですが、その中で「神戸とカラオケ文化」がとても面白いと思いました。
カラオケは神戸で生まれました。
そのカラオケの発明者といわれる井上大佑氏の講演録音テープの
話を調査されています。
カラオケ発祥の地、神戸。
なぜ神戸だったのか。
1991年ドイツで開かれた第6回国際ポピュラー音楽学会で、
日本ポピュラー音楽学会長、三井徹氏(金沢大学教授)が、
カラオケ機器の発祥の地が神戸だと、研究論文を発表し
反響を呼んだそうです。
井上氏が言われるのには、「ながし」といってスナックやバーで
一曲いくらで歌っていたそうです。
そのバンドにあわせてお客さんが生で歌を歌っていたのですが、
井上氏は楽譜が読めずうまく演奏をできませんでした。
そのかわりお客さんに合わせて長く音をひっぱったり上手に合わせることができ
お客さんのひいきになったそうです。
そしてそのお客さんが有馬に行くのでどうしても君じゃなければダメだと
いわれたのですが都合でいけなかったのでかわりにテープに
吹き込んで演奏したものを預けました。
それがカラオケの発祥といわれるものになったそうなのです。
興味を引かれたのはそれがどうして神戸だったのかということでした。
当時神戸には進駐軍が駐留しており山手の異人館などに
高級将校の家がたくさんありました。
そしてそこではパーティーが開かれたり、またダンスホールなども
たくさんありバンド演奏をする機会がたくさんありました。
井上氏は大阪出身なので大阪で演奏したり、神戸で演奏したり
したのですが大阪と神戸はたった40KMほどしか離れていないのに
大阪は井上氏などが演奏し歌を聴かせるのに神戸は歌を歌う人が多く
その人たちの伴奏をすることが多かったそうです。
神戸だけは関西の中でも、また全国の中でも珍しいことでした。
この理由として井上氏は次のように言っています。
「あまり大きな声では言えないが神戸では良い言い方をすれば
全国で一番の任侠の街であって
またお客さんは非常に歌が上手であるということもあります。」
つまり俺が歌うから伴奏せよ!というすごみのある方が
多かったのでしょうか。(笑)
また井上氏は神戸という土地柄、ジャズを演奏することが多くジャズは
アドリブがきくので相手に合わせて自由に演奏することができたので
お客さんにあわせて気にいってもらえるように
演奏するのはお手のものだったようです。
カラオケひとつでも神戸の土地柄が出ているなぁと思ったのでした。
付けば何でも飛びつくようですね。それにしても好奇心旺盛という
か研究熱心には驚かされます。大したものです感嘆いたします。
神戸には日本初というものが多いですね、それらを列記して
その理由を説明すれば面白いものが出来るかも知れませんね。
菊丸さんなど、よくチップを渡して聞いていた時代があります。
カラオケなどない時代が、本当に大人の雰囲気で酒が呑めていたと懐かしいです。
最初はラジオ番組で発売されている楽曲の「歌」の部分だけ抜けた伴奏を流していた記憶が。
つまり本物の発売曲の伴奏だけラジオで流してました。
プロ歌手の楽曲と同じ伴奏だから意味があるのでして、
そうでないと単なる伴奏だと面白くないでしょ。
最初は8トラックのカセットでしたね。
でも贅沢なのは生バンドの演奏で歌うことですね。
たまに「新世紀」とかキャバレーで酔客が歌えました。
似合う神戸好きです。(笑)
ニュースでも「神戸」と聞くと、耳がピーンと立ちます。(驚)
我ながら好奇心旺盛はどうしようもなく、それで
HPもコンテンツが次から次から増えて中途半端です。(笑)
神戸の日本初は面白いですね。
でもちゃんと、この京都精華大学の学生さんたちが
調べられています。
京都の学生さんが毎週神戸に来て調べられたのが
本当にうれしくてたまりません。
また少しずつ紹介していけたらと思います。
でしたか。
すごいですね。(^0^)
貴重な神戸の文化史ですね!
「神戸のター坊」「菊丸」さんたちのそんな時代の
お話を聴く会があれば、絶対参加しますけど。(笑)
その伴奏だけのカラオケって、全国にも自分たちが
元祖だという方々が時々名乗り出られるそうです。
でも神戸の㈱クレセント(上記井上さんの会社)が
8トラックのカセットを発明して、ただのテープじゃなく
頭出しができるカセットを売り出したそうです。
その金沢大学の先生はこれこそが、頭出しができる
8トラックのカセットがまさしく神戸がカラオケ発祥といって
いいと言っておられるそうです。
「新世紀」は高級バーだと聞いていましたが、
歌えるようなバーだったのですね!
ター坊さん。彼はさんプラザの6~7階にあった「さんセブン」というサパークラブで定期的に歌っておられたのでは?30分交代で弟さんと。弟さんはPOPS系、ター坊さんは演歌。私はそこで学生時代、アルバイトをしていて顔見知りになり、東門筋でバッタリ会うと学生の若輩者の私に「やぁ!」と笑顔で声を掛けてくれました。そんな私は急に大人になった気分で、東門を闊歩したものです。
なんと「流し」は三宮の北とか、福原界隈の話かと
思っておりました。
サンプラでもあったとは!
あの上はお好み焼き屋さんとかなかったですか?
昔は東門はきらびやかで、夜なんか歩くと
緊張したものです。
ほんと、大人の世界でしたね。
ときどき朝の東門を歩くと、夕べのゴミが積み上げられ
うらびれた街角の世界で、夜の世界とのギャップが
非常に面白いところでした。