2008年 07月 05日
大海原に向かって 進徳丸
ここに数奇な運命をたどった 練習帆船 進徳丸の一部が保存されています。
大正13年神戸三菱造船所で建造され、神戸商戦大学の前身の
神戸高等商船学校の練習船としてたくさんの若人をのせて大海原を
疾走しました。
第二次大戦が始まり、帆をとられ汽船練習船として改造され通信省の
船となりましたが、二見沖で米軍艦載機の攻撃を受け沈没。
戦後引き上げられ再び帆船として、戦後の商船大学の学生たちを
乗せ、昭和38年の引退まで世界の海を駆け巡りました。
引退後は摩耶埠頭で長く係留されていましたが、この船に愛着を
持つ市民や多くの方々の熱い思いがみのり、商船大学に保存することが
きまりました。
宿泊施設を伴った施設として多くの人たちに利用されてきましたが、
さすがに老朽化に伴い宿泊するものは少なくなりました。
平成4年の商船大学75周年の記念事業としてこの進徳丸の
大修理の予算が計上され、補修が始まろうとするときに阪神淡路大震災に
みまわれ地盤が崩壊、やむなく平成8年に進徳丸は解体されました。
今はへさきの部分と機関部、マスト、船長公室等が残され見学することが
できます。
進徳丸には青い空が似合います。
今でもたくさんの若人の夢を乗せて海に乗り出そうとしているみたいです。
いつも大変お世話になっております。
相変わらずタイムリーな神戸の情報をブログで紹介していただきありがとうございます.
上記記事でTBさせていただきましたのでお知らせとともに承認を宜しくお願い致します。