2007年 09月 01日
そしてコウベハイボール
閉店したのが1990年。
あれからもう17年もたとうとしているのに、(といって入ったことも、
マスターの作るハイボールも飲んだことがないのですが、)
今なお人々の話題にのぼる伝説のバー。
ネットでお知り合いになったまたのさんからお話を聞き、神戸に
すごいバーがあったのだと感動したのでした。
http://homepage2.nifty.com/kobeport/chousatai/kobe-hei/kobe-hei.html
その航空会社の雑誌に記事を書かれたのは吉村喜彦さんと
いう方で、本も出されています。
今も語り継がれる神戸の伝説のバーの伝統を受け継ぐお店が
あるというので神戸の街を歩かれました。
最初に出てくるのはホテルオークラの最上階のラウンジ。
ここのハイボールで使われているのはウィルキンソン。
神戸ハイボールで使われていたのもウィルキンソン
だったとか。
ウィルキンソンは英国人ウィルキンソンが六甲山系で
見つけた炭酸水です。
このウィルキンソンを使っているというのでホテルオークラの
最上階のラウンジの名前があがったのか、不明ですが
とにかくこのラウンジからの素晴らしい景色を眺めながらの
ハイボールは格別と思われ。。。
次に向かったのが三宮東門の「AZABUBAR」。
東門も震災後すっかりさびれ、寂しくなりました。(^^;
この「AZABUBAR」はメニューに「神戸ハイボール」が
あるそうです。
神戸の伝説の店に敬意を表して作っているそうなのです。
そして炭酸はやはりウィルキンソン。
カウンターだけの小さなこのバーは神戸ハイボールと創業が
同じ1954年の老舗です。
次に訪れるのが元町の「カクテルラウンジSAVOY」
ここのマスターの木村さんは学生時代に「神戸ハイボール」に通い
「神戸ハイボール」の河村さんにあこがれてこの道に入られたと
いいます。
これほどまでに深くこの街の人々の心に残ったお店があった
というのが自分にはまったく縁がなかったくせに、
無性にうれしいのです。
そして、吉村さんはこのエッセーの最後に書かれています。
「神戸はバランスの街だ。海があり山がある。
自然があり人工がある。
明るく開かれたモダニズムは、美味しいパンや菓子、
珈琲、ステーキ、中華料理、花と緑の道、そして、
おしゃれな人たちを生んできた。
ソフィスティケーションという言葉が似合う街だ。
都会なのにギスギスしないやわらか。
その核心は人生を知った大人のバランス感覚ではないか。
だからこそ、あの大震災をポジティヴに乗り越えてきたのだ。
ハイボールはバランスの飲み物。さやさやと吹く風のような炭酸が
押し付けがましくない神戸を象徴している。」
吉村さん、神戸ハイボールを載せてくださってありがとうございます。
こんなに美しい言葉で神戸を語ってくれてありがとうございます。
朝日会館。キャベツ(ザワークラフト)がアテ。
洋風立ち飲み屋ですね。マッチ箱持ってたけど震災で行方不明。
昔の雰囲気が残ってるのは元町の「ABUハチ」かなぁ。
http://www.suntory.co.jp/gourmet/bar-navi/shop/0783312798/index.html
ザワークラフト、確かカレー味とかきいたことがあります。
コウベハイボールのは。
元町のABUハチですか。
ご紹介ありがとうございます。
落ち着いたいいショットバーのようです。
行きつけのお店なんですか?
いいですね。
マッチもあったと思うけど、震災のときにえいって捨てたかも・・・
ウィルキンソンも関東では見かけないけど、すがすがしさがあります。
帰省したら行ってみたいですね。
ABUはちではハイボールを飲みましたが、いい味してました。
http://d.hatena.ne.jp/MSHIBATA/20060815/p1
吉村さんでしたか、神戸のモダニズムにお好み焼きを入れてほしかったなあ(笑)。
ABUはちは、そっとしておきたいいいお店なのですね♪
吉村さんはサントリーの宣伝部におられたのですね。
ビアーボーイとかの著書がありました。
いや~ビールとお好み焼きって合いますよね。
ほんと、神戸のお好み焼きについて今度は書いてほしいです。
私の記憶と2~3違う箇所がある。朝日会館の地下にあった
バーはく「コウベハイボール」でした。この店では2種類の炭酸
を使用していた。ウイルキンソンとワンエースだったと思います。
「AZABUBAR」スタンディングスタリルの小粋なバーです。
オープンは1990年8月だと記憶しております。此処まで
行かれるなら現在の神戸で一番旨いハイボールを飲ませる
店メインモルトを訪れて貰いたかったと思います。
木村さんが河村さんに憧れてこの道に入ったとは知らなかった
木村さんは昨年末に惜しまれ閉店したSAVOYの小林マスター
の一番弟子で35年間仕えた後に独立したと成田氏の本にある。
コウベハイボールに通ったことのある人が絶賛するカレー風味の
ピクルスは河村さん独特のもので他人が真似できるものではない
ある2軒のバーでマスターからあのピクルスを作くれと言われた
若い弟子がレピシも分からない、見たことも食べたこともない物
を作れと云われ四苦八苦している。30年余食べなれた味も
17年間も口にしていないのと、その味も中々思い出せない。
本にそうあったので続けて「神戸ハイボール」と書いてしまいました。
メインモルト、皆さんがおっしゃるのですから、いいBARなんで
しょうね。
これは行かなくては。
SAVOIの木村さんは学生時代に通われたそうです。
すごいですね。(笑)
河村さんが、ちょっと猫背になってハイボールを作り、トンッ!と
気合を入れてグラスを置く姿がカッコよかったそうです。
そして木村さんには「2杯のんだら帰りなさい」と
河村さんがおっしゃるそうです。
店にサラリーマンがやってくる頃だから、若い学生はそろそろ
退け時やということだったそうです。
昔、MEETS か KOBECCOで呼んだ記憶があったのですが、それより正確でしょう^^。
いまは、飲み方を教えてもらって素直に、なんて客もお店も少ないからね。
ほんとに行きたくなってきました。。。
今は無く跡形も無いない既に閉店17年も経っているのに拘らず
バー・「コウベハイボール」がブームになったような感じがします。
これだけも多くのコメントが集まるのは不思議な魅力がこの店に
有ったのでしょう。最早伝説の域を超えて神話になったようです。
コウベハイボールが永遠に語り接がれるのはとても嬉しいことです
この現象を河村さんが耳にしたらどんなコメントをされるかな?
恐らく「驕りは駄目、生涯修行ですよ。これに終わりはありません」
(誤って削除しました。投稿はまたのさんです。)
挑戦するバーが増えているそうです。試食鑑定を求められる時が
あるがどの店も到底コーベハイボールの味には足元にも及ばない
とのことです。私も2~3、同様の経験をしましたが成田さん同様に
あの味には到底及びもつきません(自分の舌は別にして)。やはり
この味は河村さん以外には作り得ない幻のピクルスだろうか?
MASAYOさんの残された「コウベハイボール」の資料が今後は
貴重なものになって後世に残るような気がします。
(またのさんの投稿を誤って削除しました。修正です。)
のことを知りました。
神戸の街の片隅のバーで、静かにマスターと客との織り成す
ドラマがあったと。
そんなお話が聞けて本当に幸せでした。
またのさんがおっしゃるように、河村さんにいろいろお話を
伺いたい気もいたします。
当時のお話を。
でも、きっと、そんな機会があっても、黙して語らず。
黙って笑っておられる河村さんであるような気もいたします。
グラスを使い、サントリーホワイトのボトルから28杯のハイボールを
作っていたと記憶しています。当時夜4時間のアルバイトで900円、大繁盛の時は1400円を頂戴したことは、学生アルバイトとは云え、
本当に助かりました。結婚した時のお祝いとして一生使えるプロ用厨房器具を頂戴し、今も愛用しています。(40年前の元店員)
コウベハイボールにお勤めでしたか。
本当に書き込みありがとうございます。
誰よりも河村さんとの思い出がおありでしょうね。
グラスのエピソードもありがとうございます。
ピカピカのグラス、お話に聞く河村さんらしいなと
思います。
素晴らしいお祝いの品、本当に一生の宝ですね。