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兵庫開港-4

結局、堺を止めて兵庫に決定したのは第12回目の交渉、安政5年1月10日のことでした。
そして幕府はこの日米修好通商条約の調印を朝廷に勅許を求めに堀田正睦を上京させるが勅許はおりませんでした。
仕方なく朝廷の勅許なきままに安政5年6月19日に幕府と米国の間で調印が交わされます。
どうして勅許なきままに急いで調印しなければいけなかったのか。

ハリスは英仏が清国と戦って勝利し、そのまま日本にやってくるかもしれない、その時には自分たちが守るからその前に調印をと幕府を脅して急がせたのです。

このハリスと幕府とによる日米修好通商条約によって、兵庫の港は開港が決まり、その後神戸の街を特色づけた居留地を設けるということが決定しました。

居留地は国内の中に外国があるようなもので治外法権や屈辱的な条件がたくさんありましたがその後の神戸に与えた影響は計り知れません。

元はといえば、大阪港が京都に近いから、代わりの港はないかということで出てきた兵庫港案でしたが、神戸のエキゾチックな雰囲気を愛する者にとってこの決定は幸運なことでした。
by kobeport | 2005-11-12 21:00 | 神戸 | Comments(0)