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神戸トピックス

モトコーの生い立ち 村上しほりさんの著書「闇市からの復興」より。

「神戸闇市からの復興」村上しほりさんの著書からモトコーの生い立ち?を
まとめました。

モトコーがあるJR西日本神戸線の高架橋は1945年の戦災にも耐え、また50年後の
1995年の阪神淡路大震災にも耐えました。
神戸の国有鉄道は1918年から1935年にかけて高架化されています。

モトコーがある元町高架下通は今年2019年で築87年になります。
震災後の補強では帯鉄筋を増量して新設、あるいは修復できるものは
修復して鋼板で覆われました。

JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナント
複雑な借地関係は契約期間も異なっています。
JR西が高架通商店街の商店主に借地契約満了となる2017年3月以降の退去を
要請しました。
今後の地震や防火対策などのためです。
高架通商店街とJR西との契約は山側が2017年3月、浜側が2018年3月末で満了と
なりました。
2016年11月29日に行われたJR西が店主らに対しての説明会では次の通りの
計画だということです。

〇 工事は2017年秋頃より順次進められ、1,4,5番街をJR西が直接運営する。
〇 2,3,6,7番街に既存の店舗を集約する。
〇 2024年度中の完成を目指し3,7番街は2018年4月から、2.6番街は2020年4月から、
  1,4,5番街は2022年4月から段階的に着手する。

商店街の店主たちは、モトコーを守る会を結成、「モトコー勉強会」
「モトコーを守る会」「モトコー店主会」を結成し207年8月には「モトコーを守る会」
により3番街に掲示板が作られました。
3番街を歩くとモトコーを守ろうといういろんなちらしや垂れ幕があります。

もともと高架橋下部空間への店舗建設は当時の建設省や神戸市によって計画されていた
ものでした。
しかし、1937年の日中開戦により建築建材資材の統制が始まり実現されなかったのです。
高架下の山側では部分的に鉄道省の倉庫が設けられました。
中央と浜側は神戸市が鉄道省から道路用地として無償で借り受けたままの空き地を暫定的な
歩道や公園として用いている間に、終戦を迎えました。

終戦後
終戦後この高架下には市内最大規模の闇市が発生し三宮、元町、神戸駅のあいだは大いに
にぎわいました。
闇市は公認の店ではなく無許可の出店でしたが、食料も衣類も何もかも不足した
困窮の時世ということもあり、市は特別措置として浜側に立ち並んだ店舗群に対して
道路占領許可と露店営業許可を出し連続型店舗を形成する動向も容認。
最初「闇市」と称されたこの商店街も商店主たちがイメージアップのため「自由市場」と
呼称されるように働きかけ、これが定着。
1946年上半期にはこれらの店舗群は「松明会」という博徒系組織に統括され場代を徴収されるように
なった。
しかし、この場代徴収に不満を持った商店主たちは1946年12月に元町高架下商業協同組合を
結成するに至る。

1947年~1949年に発令された飲食営業緊急措置令、並びに飲食営整法により闇営業であるとされ
営業が規制されることになったが、この時外食券食堂、旅館、喫茶店に限った営業許可が
下りたことから「喫茶店」「古着屋」として申請し営業を続ける店舗の割合が増えた。
商店街は営業権獲得に向けて20年も交渉を続けた。

1953年の道路法改正によって占用許可の基準が明記されたのち、国鉄と神戸市、地元店舗群の
三者による協議折衝が続く。
最終的に国鉄が譲歩し、1976年、元町高架通商店街は統一的な店舗形態として全面改築。
今に至っています。

JR⇒神戸市⇒元町高架通商店街振興組合⇒不動産会社等の借地人⇒テナントという複雑な借地借家形態は
高架下浜側だけのものであり、山側は当初からJR(国鉄)と個々の店舗とのあいだに直接契約が
結ばれていました。















by kobeport | 2019-01-24 22:55 | 神戸 | Comments(0)