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生田川付け替えのこと

というのも明治の初めのことですが。(^^;

明治元年に居留地ができて雨のたびにあふれだす生田川に
手を焼き、居留地の外国人からは堤防をもっと頑丈にして
ほしいとの要望がでましたが、堤防は砂地で頑丈なものに
しようとすると膨大なお金がかかるので、生田川を付け替える
ことし明治4年2月、政府に上申しました。

その旧生田川の堤防、川敷を買い取ったのが加納宗七。
東遊園地に小さな銅像があります。

明治6年、旧生田川は広々とした10間道路(幅18M、長さ1,650M)
となりそれに交差する幅11Mの道路5本が付けられました。

加納宗七は旧生田川の両側を宅地として売りだしたがしばらくは
買い手もつかなかったそうです。
その土地を安い価格で買ったのが小寺謙吉(後の神戸市長)の父の
小寺泰次郎で後の値上がりで大もうけをしました。

加納宗七はというと土地を担保に三井銀行から借りたお金を
返せず一部の土地は三井銀行のものになりました。

そういえば、センター街の入り口は三井住友銀行。
そんないきさつから三井銀行の土地になったのですね~

加納宗七はこの生田川の造成工事のあと、明治6年には自費で
新生田川尻小野浜に小型船の避難場所揚げ場をつくり、有料港湾として
10石当たり1銭平均の帆別銭をとりました。

この小野浜船入場は後に海軍に買収され海軍省主船局付属
小野浜造船所のドックとなり、大正4年に埋め立てられて
鉄道操車場の敷地となりました。
これが臨港線神戸港駅になります。

そして臨港線が廃止され、今のみなとのもり公園になったのですね!

以上「神戸開校100年」より、いつも通るみなとのもり公園、
フラワーロードに関する面白い記述でした♪
by kobeport | 2012-01-31 22:29 | 神戸 | Comments(0)