2011年 10月 26日
鈴木よねさんと祥龍寺
う~ん、えらいところに
あります。
阪急六甲駅の北、六甲登山口
から六甲川に沿って
登りつめます。
祥龍寺HPより
祥龍寺は法道仙人(645年頃)の開基と伝えられ古くは広國山と号す。
『大阪・堺・須磨・一の谷まで一眸の下に遮る真妙の勝邑』として、
平清盛の頃寺運大いに盛んであった。
応仁年間(1467年頃)若林氏が復興し、更に元禄9年(1696年)
松平大膳太夫大江吉広(毛利氏)の助力で堂宇を整えたが、明治初年に廃寺となる。
後昭和2年、当時の妙心寺派管長五葉愚溪老師が鈴木よね刀自等の
喜捨を得て再興し今日に至っている。
鈴木商店の女主人、鈴木よねさんの
胸像です。
鈴木よねさんの胸像の向かって左には鈴木商店を支えた大番頭
金子直吉、柳田富士松翁の頌徳碑が建っています。
この頌徳碑については、柳田富士松の義一さんが次のように記しています。
戦後日も浅き昭和25年3月、鈴木商店にゆかりの深い高畑、田宮、
久村、金光、大屋氏等の有志によって、神戸港の見える山内の場所に、
金子直吉翁、柳田富士松翁の頌徳碑が建立された。
この除幕式には縁故者多数が参会し両翁のご冥福をお祈りした。
鈴木商店と祥龍寺
寺の中は広い庭にしし脅しが2つ。
庭から神戸六甲の街並みが望めました。
KobeportさんのこのBlogに刺激され11月2日に 祥龍寺に
行ってきました。
Kobe Port 様のこの記事にリンクを張らせていただきました。
田辺真人氏著の神戸人物史のPage69鈴木よねの項に
鈴木よねと金子直吉の墓が祥龍寺にあると書いてあった
のですがKobe Port様がご指摘のように追谷墓地に
鈴木よねの墓があるというのが正しいのでしょうか?
せっかく祥龍寺まで行ったのに墓の件は確認できませんでした。
いくつかの本でも見かけました。
http://muramatsu0216.jugem.jp/?eid=102
鈴木よねさんのお墓が追谷墓地にあるというのは
確かのようです。
リンクをありがとうございました。
田辺眞人氏の神戸人物史も調べてみます。
どうぞよろしくお願いいたします。