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鈴木よねさんと祥龍寺

祥龍寺HP
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 う~ん、えらいところに
 あります。

 阪急六甲駅の北、六甲登山口
 から六甲川に沿って
 登りつめます。

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祥龍寺HPより
祥龍寺は法道仙人(645年頃)の開基と伝えられ古くは広國山と号す。
『大阪・堺・須磨・一の谷まで一眸の下に遮る真妙の勝邑』として、
平清盛の頃寺運大いに盛んであった。
応仁年間(1467年頃)若林氏が復興し、更に元禄9年(1696年)
松平大膳太夫大江吉広(毛利氏)の助力で堂宇を整えたが、明治初年に廃寺となる。
後昭和2年、当時の妙心寺派管長五葉愚溪老師が鈴木よね刀自等の
喜捨を得て再興し今日に至っている。

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鈴木商店の女主人、鈴木よねさんの
 胸像です。
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鈴木よねさんの胸像の向かって左には鈴木商店を支えた大番頭
金子直吉、柳田富士松翁の頌徳碑が建っています。

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この頌徳碑については、柳田富士松の義一さんが次のように記しています。

  戦後日も浅き昭和25年3月、鈴木商店にゆかりの深い高畑、田宮、
  久村、金光、大屋氏等の有志によって、神戸港の見える山内の場所に、
  金子直吉翁、柳田富士松翁の頌徳碑が建立された。
  この除幕式には縁故者多数が参会し両翁のご冥福をお祈りした。
     鈴木商店と祥龍寺

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寺の中は広い庭にしし脅しが2つ。
庭から神戸六甲の街並みが望めました。
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Commented by seiyo39 at 2011-11-24 07:52 x
Kobe Port 様

KobeportさんのこのBlogに刺激され11月2日に 祥龍寺に
行ってきました。

Kobe Port 様のこの記事にリンクを張らせていただきました。

田辺真人氏著の神戸人物史のPage69鈴木よねの項に
鈴木よねと金子直吉の墓が祥龍寺にあると書いてあった
のですがKobe Port様がご指摘のように追谷墓地に
鈴木よねの墓があるというのが正しいのでしょうか?

せっかく祥龍寺まで行ったのに墓の件は確認できませんでした。
Commented by kobeport at 2011-11-24 23:44
seiyo39さま、追谷墓地にお墓参りに行くというのは
いくつかの本でも見かけました。
http://muramatsu0216.jugem.jp/?eid=102
鈴木よねさんのお墓が追谷墓地にあるというのは
確かのようです。

リンクをありがとうございました。
田辺眞人氏の神戸人物史も調べてみます。
Commented by seiyo39 at 2011-11-25 07:06 x
Kobe Port様

追谷墓地の情報ありがとうございました。
妻に実家の墓が追谷墓地にあり墓参りに行く機会も
ありますので、その時に確認しようと思っています。
Commented by kobeport at 2011-11-25 08:02
seiyo39さま、調査結果が待ち遠しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
by kobeport | 2011-10-26 23:02 | 神戸 | Comments(4)