2011年 10月 24日
神戸の源平の史跡 北向八幡と那須与市
あることは知っていましたし、その前を車で子供のころから
通ったりしていましたが、実際訪れたことはありませんでした。
先日、やっとバスを降りていくことができました♪
道を挟んで北向八幡神社と那須与市の墓が向かい合って
います。
北向八幡神社

那須与市は下野国(栃木県)の那須野庄を領地する那須太郎資隆の
11男で幼少の頃から弓矢を好み、弓矢の神である八幡神社への信仰が
篤い若者でした。
那須与市と北向八幡神社とのかかわりは、そもそも義経が一の谷・鉄拐山への
道案内に頼んだ狩人・鷲尾基春が暴風雨で進退きわまった義経一行に土地の
ありがたい神社を紹介したことから始まります。
北向八幡神社への皆の必死の祈りが通じ暴風雨もおさまり、進路が見えてきた
という経験から那須与市は深く信仰心を篤くします。
やがて平家の船上の扇の的を射る大役をおおせつかった時も
西風が吹きおこり船の扇が波のため大きく動き狙い定めることが
できなかったが、心を鎮めて北向八幡神社に祈念すると、不思議なことに
風おさまり扇の的は動かず、見事射抜くことができました。
与市はその後、故郷へ帰り軍功として那須野総領とせられましたが
しばらくして病気になり那須家の相続を兄の之隆に譲り、僧となり病身を
もって諸国の社寺をまわりました。
奇しくも再び北向八幡神社に参詣されたとき、病重くなり村人たちは
必死の看病をしましたが、ついにこの地で亡くなってしまいました。
亡くなる際には、村人たちの手厚い看護に感謝し、皆がこのような
難病にかからぬようお守りしますと約束されました。
那須与市公の墓





ちなみに調べてみると、那須与市(与一)の墓と言われるものは
あちこちにあります。

