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三菱しんせんファクトリーツァー(2) 資料室

「ファンタジー」による海からの見学の後、バスで三菱神戸造船所
に移動しました。
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映像で三菱が作っているさまざまな製品や技術をみせてもらって
それから資料館の見学に行きました。
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岩崎久弥は岩崎弥太郎の長男です。
三菱財閥3代目総帥。

こんな人も神戸造船所を訪れました。
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創業当時の建屋風景
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昭和30年代、あるぜんちな丸の進水風景。
どの船台にも船が乗り、壮観です。
現在は第3船台1つが使われているだけだそうです。
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海外のトンネルも三菱の掘削機で。
この写真は英仏海峡トンネル。
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新田次郎の「孤高の人」のモデルといわれている
加藤文太郎も三菱造船所の技師でした。
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仕事が終わった後、山まで歩いていったとか。
すごいですね~
Commented by またの at 2010-11-07 10:48 x
三菱重工はやはり軍需で成長した会社でしょうね。
昭和13年と言えば日中戦争の勃発の翌年でこれだけの
海軍の要人が造船所に来訪されていうのは当時の状勢
を考えればよく分るような気がします。

山本五十六は海軍次官。三川軍一は軍令部第三部長。
(軍令部三部は軍備計画等を担当する部署です)
侯爵小松輝久は当時海軍大学校長とこれだけのお歴々
が同じ年に訪れていると云う事はハッパをかける意味
があったのでないかと十分考えられることですね。
Commented by kobeport at 2010-11-07 22:27
またのさん、山本五十六の名前は知っていたの
ですが、侯爵小松輝久というのは初めて
知りました。
軍艦などの製造視察に来られたりしたので
しょうか。
すごい勢いがあった会社なのですね~
by kobeport | 2010-11-05 23:56 | 神戸 | Comments(2)