2010年 08月 25日
加納町の由来の加納宗七
加納宗七の小さな像があります。
元はもっと大きな像が久方橋東詰に立っていたそうです。
写真でみるととても大きな像です。
久方橋というのは新神戸駅付近にあった橋のようですが
戦時中の金属供出で取り壊されました。
この加納宗七は神戸に来る前は、なんと陸奥宗光らとともに
龍馬暗殺の疑いをかけられていた紀州藩の三浦休太郎襲撃計画に参画。
これを襲撃した京都の天満屋事件で、三浦を警護する新撰組と死闘を繰り広げ
双方死傷者を出した末、神戸に潜伏していたといいます。
神戸に来たあとは材木商を営み、財をなして生田川の付け替え改修事業を
請負い、加納町の名前に残っている有名人ですね。
いつも通る東遊園地で小さな加納宗七の像を眺めていましたが
そんな歴史を知るとちょっとまた身近に感じました♪