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加納町の由来の加納宗七

東遊園地の東、フラワーロードに面するところに
加納宗七の小さな像があります。

元はもっと大きな像が久方橋東詰に立っていたそうです。
写真でみるととても大きな像です。
加納町の由来の加納宗七_b0051598_22363839.jpg


久方橋というのは新神戸駅付近にあった橋のようですが
戦時中の金属供出で取り壊されました。

この加納宗七は神戸に来る前は、なんと陸奥宗光らとともに
龍馬暗殺の疑いをかけられていた紀州藩の三浦休太郎襲撃計画に参画。
これを襲撃した京都の天満屋事件で、三浦を警護する新撰組と死闘を繰り広げ
双方死傷者を出した末、神戸に潜伏していたといいます。

神戸に来たあとは材木商を営み、財をなして生田川の付け替え改修事業を
請負い、加納町の名前に残っている有名人ですね。

いつも通る東遊園地で小さな加納宗七の像を眺めていましたが
そんな歴史を知るとちょっとまた身近に感じました♪
Commented by 京神 at 2010-08-26 13:25 x
へー 何でもご存知ですね~ 加納さんは新撰組と戦ったんですか。歴史の勉強になります。今、龍馬伝が人気で毎日曜日は見ています。
Commented by kobeport at 2010-08-26 21:30
いえいえ、加納宗七を調べたらとても
面白かったです。
龍馬とかかわっていたと思うと親近感が
増しますよね~(笑)
by kobeport | 2010-08-25 22:47 | 神戸 | Comments(2)