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戦前の神戸とかかわった外国人 その3

「北野町山本通伝統的建造物群保存地区30周年」
記念講演会の田村恵子先生のお話「神戸に生きた英国人たちの光と影」
から。 最後の3人目は

③アーネスト・ジェームス
神戸生まれ神戸育ち。
父はリバプールから神戸に来た水先案内人でした。
アーネスト・ジェームスは4番目の子供で、神戸で生まれた最初の子供。
イギリスのミッションスクール(今の聖ミカエルの場所)に通いました。
中学を出た後、ビジネススクールに通い、1915年カメロン商会に入り
いわゆる先物買いで大成功し、財をなしました。
後、総支配人となり、ノーベルの爆薬輸入の代理人となります。

1830年から始まった神戸の「港祭り」の外国人委員となりました。
ジェームス山の開発にかかわり、現在カナダのカルガリーに娘さんが
おられるようです。

フィットネスにも熱心で、塩屋カントリークラブのプールにも
よく通いました。(1938年ころ)

1949年 兵庫県では当時3台しかなかったフォードを乗り回していた
そうです。
その3台しかないフォードの持ち主は兵庫県知事、県知事の車であり
アーネスト・ジェームスの富がいかほどであったかがよくわかります。

1920年後半頃になると、北野が建てこんできて、外国人の住宅は西の
方へ移り始めます。
彼は塩屋の山林を買い、自宅を建て、裏には塩屋カントリークラブを作ります。
付近を住宅街にし50何軒かの賃貸の外人専用住宅を建てました。

神戸の発展にはまだまだ外国人の力が必要だと思い、外人の住宅環境を
整えたいとの思いだったようです。

都心を離れた郊外生活へのあこがれ、緑が多く、風景がよいため
電線を地下に埋め、素晴らしい住宅環境を作り上げました。
しかし、彼もやはり当時の神戸にいた外国人と同じく戦争の
被害者でした。

1939年、1940年の反英運動でスパイ嫌疑で逮捕されます。
そしてジェームス山の開発も中断。
しかし、彼はその頃語っていたそうです。
「戦後、ジェームス山の北側にはゴルフ場やヘリポート、対岸(淡路島)
には橋ができるだろう」と。

島にかかる橋ができると予言されていたのですね~

1952年に亡くなるのですが、望淡亭は彼の私邸でした。
Commented by 京神 at 2010-02-11 17:03 x
なんでも詳しいですね。いい勉強になります。
Commented by kobeport at 2010-02-11 21:26
京神さん、詳しくないですよ。(汗)
講演会で、先生が説明されるのを必死でメモった
だけです~(^^)

知らないことをお聞きして、へぇへぇへぇでしたよ。(#^.^#)
Commented by aru at 2010-02-12 13:42 x
このシリーズ、とても興味深いです。
勉強になります^^
Commented by kobeport at 2010-02-12 21:42
aruさん、ありがとうございます。
自分自身も興味がありましたから覚書の
つもりです。(笑)
by kobeport | 2010-02-10 21:55 | 神戸 | Comments(4)