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コードネームは「真珠の首飾り」 その1

たまたま皇居前の第一生命ビルを通りかかりました。
前に白洲次郎が憲法前文にかかわったということでGHQでの奮闘を
知ったのですが、ここが新憲法が生まれる舞台となったところですね!

白州次郎の本を読んだりしているうちに憲法が生まれるまでのいきさつに
とても興味を持ちました。

http://kobeport.exblog.jp/10873592

白州次郎「占領を背負った男」を読んだのですが、息詰まるGHQとの
攻防、また憲法を作ることをマッカーサーから命じられた25人のGHQ民政局の
人たちを知りました。
この第一生命ビルは平成7年に建て替えられているのですが、歴史的建造物と
いうことで玄関などはそのまま残されているということです。
またマッカーサーの執務室もこの中で残されていて、見学もできるということ
です。

憲法が生まれるいきさつを自分の覚書としても、書き留めておきたくなりました。
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以下は「白洲次郎 占領を背負った男」から憲法誕生のあたりの要約です。

S.20 10.4 マッカーサーは近衛文麿を第一生命ビルに呼び憲法改正の草案を作成
      するように命じる
      戦争責任を追及されると思っていた近衛は非常に喜びはりきって草案作成に
      とりかかる。
      京大の憲法学者である佐々木惣一、大石義雄を含めた憲法調査会を編成。

      一方時の政府幣原内閣の国務大臣である松本烝治は近衛の動きを看破
      できなかった。
      なぜなら彼は日本の法曹界を背負って立っているという自負があったから。
      そこで閣内に松本を委員長とする憲法問題調査委員会を設置。
      委員会には憲法問題のスペシャリストが名を連ね、近衛たちと対峙する形となった。

       宮内庁と内閣とが別々に憲法改正案を作成するという事態となった。 

米国のジャーナリストは近衛の戦争責任を非常に重くとらえていたので戦犯容疑の
濃い近衛にこのような重い任務を申しつけるマッカーサーに批判的な記事を書いた。
驚いたマッカーサーはあわてて近衛を切り捨てる。

S.20 11.1 GHQは「近衛は憲法改正を行っているが、これはGHQの関知せぬ
ことである。」と発表。
マッカーサーは本国での人気が大事だったのです。

しかし、近衛は憲法改正を続け、佐々木博士に作業を任せたが、佐々木博士が作成した
案は保守的だった。
佐々木案は①天皇大権を認める②枢密院に準じるものを残す③天皇の統帥権を認めると
いうことで明治憲法とたいした違いはなかった。
それに対し近衛は開戦に至った苦い教訓を生かし①天皇は総理大臣が奏請した事項に
対して承認を与えるのみ②立法権を制限してしまうという理由で枢密院は廃止
③天皇の統帥権は認めず国務と統帥をすべて総理大臣に集中させるという
斬新な近衛案を作成した。

しかし、GHQはこの二つを黙殺。

S.20 11.24 内大臣府が廃止され事実上の憲法調査会解散命令が下る。

S.20 12.2 梨本宮、平沼麒一郎、広田弘毅元首相の逮捕

S.20 12.6 静養先の軽井沢にいた近衛に外務省から戦犯指名された旨の電話を受ける。

S.20 12.14 明日は巣鴨に出頭という前日のこの日、近衛は親しい友人を夕食に招待

S.20 12.15 近衛自殺

GHQは近衛の死後「近衛は日本政府の行政機構改革を研究するように言ったのを、
通訳の誤訳のために憲法改正と考えた」という噂を流した。

GHQに押し付けられる前に新憲法を作ろうとするもくろみは近衛の死で先行きが
わからなくなった。
しかし、憲法改正は幣原内閣で1本化され、松本烝治主体で進められていくことになった。

S.21 2.1 毎日新聞が検討中だった憲法草案の一部をスクープ
      一面に「天皇の統治権不変」とでかでかと見出しが出た。
      そして憲法問題調査委員会試案全文が掲載されていた。
      スクープされたのは委員会の一人である宮沢俊義 東京帝国大学教授が
      個人的にまとめた案であった。  

     マスコミは大騒ぎ。
     どの新聞も政府案は保守的すぎると強く批判。 
     

     この記事に目を通したGHQは民主化憲法に程遠い、明治憲法を微調整した
     だけだと怒った。  
     案は二つあり、宮沢案が否定されたので松本烝治はもう一つの正式な
     憲法問題調査会案(松本案)を提出したが、前の宮沢案と大した違いはなく
     GHQのホィットニー民生局長とケーディス次長に大声で 否定される。

部下のホイットニーからの報告を聞いたマッカーサーはこれでは日本側に新しい
憲法作りをまかせておけないと判断した。

国際法の基本条約であるハーグ条約付属書規則第43条には次のようにある。
「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、
占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及び生活を回復確保する為施し得べき
一切の手段を尽くすべし」
つまり占領軍主体で憲法改正をすすめることはできない。
今までマッカーサーが手を出さず日本側に任せていたのはこのハーグ条約があったから。

ちょうどこのとき連合国各国代表による極東委員会が設置されることになったのを
聞いたマッカーサーはハーグ条約違反だということでぐずぐずしていてはいけない
と感じた。
というのはGHQというのは連合国側の総司令部だったが実質はアメリカ軍のみので
できていた。
これに不満をもったソ連を主とする連合国側がモスクワで開かれた米英ソの外相会議で
極東委員会の設置が決定された。
これはアメリカ軍によるGHQの占領政策をチェックするものであった。
極東委員会に口を出される前にアメリカ主体の憲法を作り上げなければいけない。

S.21 2.3 マッカーサーはホイットニーを呼び、象徴天皇、戦争放棄、封建制廃止の3つの
原則にのっとる憲法を作るように命じる。
いわゆるマッカーサー3原則と呼ばれるものである。
(戦争放棄という政策が登場するのは人類史上はじめてのことだそうです。)

S.21 2.4 10:00AM 民生局の中から極秘に25名が選ばれ会議室に集められた。
ホイットニーは2月12日までに憲法の草案ができあがるように、民政局は極秘に
憲法制定会議の役割を果たすことになると宣言した。
ホイットニーの部下のケーディスが実質上の指揮にあたり、組織図を発表、
担当者が任命された。

この極秘プロジェクトのコードネームは「真珠の首飾り」に決定。
このプロジェクトの日数はたったの9日間!
25名の顔ぶれは弁護士資格をもつものは3名いたが憲法の専門家は一人もいないと
いうものだった。

後にこのときのことを回顧したメンバーの一人は「とても興奮したが、自国の憲法を
外国人によって起草されることはとても不幸なことだ」と考え、そのことを上司に述べたが
受け入れられなかったそうです。
これからこの第一生命におけるGHQで25人の必死の奮闘が始まります。
Commented by またの at 2009-06-05 07:32 x
MASAYOさんは随分と凝り性ですね。白洲次郎に関しても
ここまで掘り下げて調べるとは感服するより頭が下がります。

8月のTVドラマの第3部でどのよう描かれるが興味深い所です。
Commented by kobeport at 2009-06-05 08:26
またのさん、いつもいろんなヒントを与えてくださって
ありがとうございます。
8月のTVドラマ、楽しみですね!
できたら3時間くらいのスペシャルものでお願いしたい
くらいです。(笑)
できたら白洲次郎役は前の伊勢谷さんにやってもらいたい
ですが、若すぎます?(#^.^#)
Commented by ととろ at 2015-01-22 09:41 x
この続きは、読めないのでしょうか?
その2 その3 その4

その5は読めました
Commented by kobeport at 2015-01-22 21:25
ととろさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
この続きは2009年6月の記事にあります。
http://kobeport.exblog.jp/m2009-06-01/
その2、その3、その4のリンクにあるのですが
また読めなかったらお知らせください。
よろしくお願いいたします。
Commented by ととろ at 2015-01-24 03:21 x
ありがとうござました。全部読めてスッキリしました。
日本国憲法は、人権尊重という視点で大変気に入っております。
また、9条についてもあの戦争で多くの犠牲を出されたアジアの人々と日本国民の思いが込められたものなのですね。
フランスとドイツがされたように、アジアで同じ歴史教科書を作り学んでいけるようになればいいなと思っています。
Commented by kobeport at 2015-01-24 21:13
ととろさん、ありがとうございます。
私も感銘を受けまして、自分の忘備録のつもりで
記録しました。
アジアで同じ歴史教科書を作り学べるということを実現するのは夢ですね。
本当にそうなってほしいですね!
by kobeport | 2009-06-04 22:49 | 取材日記 | Comments(6)