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神戸百景の随想 NO.57 トアロード

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57 トアロード

私たち つまり両親と当時6歳だった私がちょうど59年まえ 
有馬から山越えで神戸に旅をしたときは”かご”に
乗ってきたのです。
そのころ神戸には電灯や石油ランプがなく ようやくガス灯が
あったくらいですが 私たちはレーン・アンド・クロフォードの
輸入品店でたのしく買い物をしました。
トアロードは市の中心の街路で 港へやってきた人は
この道を山の方へとたどってきました。
トムソン薬局では薬が買えるし コーロルリエ商会では
高価な舶来のカン詰め類が買えました。
フタバ商会には観光客が土産に買う色つき写真が
ならんでいました。
ロシア革命のため避難民の女性が神戸にやってきて流行の
帽子やシックな婦人服 それにロシア料理を
紹介してくれました。
日本製の陶器や銀器真珠は舶来品と美しさを競っていたのです。
そこへ1941年に戦争がやって来ました。
そしてトアロードは東亜の侵略計画に従って「東亜道路」と
いいかえられたのです。
売るものがないので 店はひとつ またひとつと閉めてゆきました。
そして2年間というものはひと月一度のハイキューがあると 
紙とヒモを買う以外には なにも買うものはなかった
のです。
そこへB29がやってきてなにもかも すっかり
ああなってしまいました。
日本人独特の苦難にめげぬ快活さで さっそく神戸を
復興しましたが あの外国人商店の時代は過ぎ去りました。
1945年6月5日の空襲から1週間目に建った最初の店は
トタン板と古いレンガと 窓には自転車輪を使って
つくられていました。
わずかのあいだ 明かるい草花がこの家のまわりいっぱいに
咲き誇っていましたが それは何千人もの家を失った
人びとを力づけたのです。
川西さんは現代の神戸をえがく版画の中に自由さ 大胆さ 
光と色彩といった万華鏡のような効果を
とらえました。
私たち神戸人は緑の六甲の山やまに向うと やはり心の
安らぎを覚えますし 一方では右に左に 前に後にやって
くる自動車や頭上を飛ぶ宣伝飛行機の変転きわまりない風景に 
うろうろさせられるのです。
この画を見ると それらすべての音がきこえてくるようです。

松蔭短期大学々長 Leonora E・Lea(イギリス)


戦災でトアロードあたりは焼け野原になったのですね。
そのあと、明るい草花が家のまわりいっぱいに咲き誇って
人々を力づけたと書かれていますが、震災後のひまわりの
花を思い出しました。
by kobeport | 2009-01-24 23:15 | 神戸 | Comments(0)