神戸トピックス


ふじ丸とロイヤルプリンセス
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餃子専門店古屋

真っ赤です。
店の外も中も。
南京町と元町通りの間にあります。
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店の中の壁はいろんなものがペタペタ貼り付けられていて。
なんでもここのオーナー古屋さんがバイク事故にあったときの
診断書まで貼り付けてあるそうです。(見つけられなかったのです~(^^;)
最近東京にも進出してオーナは東京と神戸を行ったり来たり。
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注文があってから皮をつつみます。
こぶりの餃子。
薄皮、味噌だれ。神戸の餃子です~
ぽいぽいぽいと次からつぎへと口に入ります。(^^ゞ
わりとキャベツは大きく切ってあり。。。
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餃子の他にもメニューはありました。
うみゃかったです。
餃子古屋
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# by kobeport | 2005-12-13 22:29 | グルメ | Comments(0)

ダイエーハーバーランド店閉店

ついに閉店の日がきました。
寂しいです。
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たくさんの惜しむ人に見守られ、閉まってしまいました。
お疲れ様でした。
たくさんの思い出を残して。
忘れません。
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# by kobeport | 2005-12-01 00:00 | ニュース | Comments(11)

耐震ホテル

今話題の耐震強度偽造ホテルの系列。
愛知博に行ったとき、泊まりました。
震災を経験しているだけに耐震○○に非常に弱いです。
ネットで検索して驚くべき安さと耐震に引き寄せられて泊まりました。
なかなか快適でネットも完備、食事も安くおいしかったのですが。
駅前の本当に便利なホテルだったのです。

耐震を売りにするホテルがこんなことでは許せませ~ん!
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# by kobeport | 2005-11-24 23:21 | ニュース | Comments(2)

兵庫開港-8

遣欧使節団によってやっと期限が5年伸ばされた兵庫開港でしたが、その理由として幕府が開港に反対する勢力を抑えるからということでしたが、抑えるどころかますます激しくなる攘夷の嵐でした。
で、それでは約束が違うとまたまた開港を早めるように迫る外国側でした。

そして朝廷側からは高まる攘夷の動きに攘夷決行の日を決定させられ、この頃の幕府はもう何をやっているのかわからないくらいにみえます。
中からと外からで右往左往といった感がします。
とにかく攘夷決行に備えて沿岸部の防衛を強化しないといけません。
で、この時に築かれたのが和田岬の砲台でした。
今は三菱重工の構内にあります。
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そして朝廷には攘夷を約束しながら、一方幕府は密かに兵庫開港の準備も始めています。

まず、どのあたりの港を開くか、どのあたりに居留地を設けるか。
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# by kobeport | 2005-11-21 23:32 | 神戸 | Comments(0)

神戸旧居留地

旧居留地を調べていたらとても面白いです。
この建物は居留地何番にあたるのかと思って調べていたら、その番地は今の番地と
だいたい同じですね。
これは全部にあてはまるのかどうか、今調べ中です。
となると昔の居留地の区画番号は今に生きているのですね。

ちょっと感動してしまいました。

全部かどうかはわかりませんが、おぉ~と思ってしまいました。
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# by kobeport | 2005-11-20 21:50 | 神戸 | Comments(5)

兵庫開港-7

幕府と諸外国と結んだこの通商条約の不平等さ、強引な諸外国の国内での行動に、攘夷の動きが高まりました。
1860年桜田門外の変、米国公使館通訳官ヒュースケン惨殺事件。
国内の混乱を理由に幕府はまだその時期は開港の時期に至っていない新潟、兵庫の開港の延期等、条約期限の10年延期を申し出ました。
1861年2月のことです。
新潟港は1860年1月1日開港予定でしたが、1859年10月24日にすでに延期の要請をしていました。
新潟港についてはあらかじめ条約文に但し書きが付記されていました。
「もし新潟港を開きがたきことあらば…」
(どのような事情によってそのような付記がつけられていたのか不勉強でわかりません。)

とにかく条約期限の延期を申し出たところ、英仏公使はそれは自分たちで決められることではないのでとにかくこれを機会に各国を訪問して直接延期依頼されてはいかがと勧めました。

そういういきさつで幕府は36名の遣欧使節団を派遣することになりました。
この中に通詞福沢諭吉がいました。

この時の遣欧使節団の写真が残っていますが、みんなチョンマゲでした。
(あたりまえですね。まだ維新前です。)

しかし、この時の幕府使節団が目のあたりにした海外の様子には度肝を抜かれたことでしょう。
成果は10年延期要請が5年に。
そして延期が認められたかわりに輸入税は平均2割から5分に引き下げさせられたことでした。

帰国は文久2年12月9日。
出発は品川より文久元年12月22日のことだったので約1年の渡欧でした。
まず英国と延期要請の調停を交わしたので「ロンドン覚書」というそうです。
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# by kobeport | 2005-11-16 23:23 | 神戸 | Comments(2)

兵庫開港-6

安政5年6月、米国と通商条約を結び、翌月は次々と他の国々とも調印しました。
蘭、露、英と。9月には仏と。

その内容は、開港、及び外人居留権を含む14条。貿易章程7条。

開港を決められたのは次の通り。

下田函館の港の外
神奈川   午3月より凡15ヶ月の後より1859年7月4日
長崎    同じく
新潟    凡20ヶ月の後より1860年1月1日
兵庫    凡56ヶ月の後より1863年1月1日
もし新潟港が開き難きことあればその代わりとして1港を別に選ぶ
神奈川港を開く後6ヶ月にして下田港を閉鎖すべし

何か複雑な開港の時期の決め方です。

しかし、これにより攘夷の嵐が吹き荒れることになりました。
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# by kobeport | 2005-11-15 23:46 | 神戸 | Comments(0)

兵庫開港-5

ここで兵庫の名前がでてくるのは、やはり平清盛が築いた兵庫の津の歴史、それから網屋吉兵衛の船たで場、そして多くの人に知られた天然の良港の立地条件です。

網屋吉兵衛の船たで場があったところは、今では京橋南に碑が残るばかりですが、ここは阪神高速の建設時に埋め立てられたそうです。
彼は私財を投じて船修理場を作りました。
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網屋吉兵衛の船たで場を見た勝海舟はその素晴らしさに驚いたそうです。
咸臨丸の修理にサンフランシスコの浮きドッグを見てきた勝海舟が驚くほどですから、すごいものです。

網屋吉兵衛の話は神戸元町のHPに詳しいです。
http://www.kobe-motomachi.or.jp/cont08/cont08-26.htm

その中に船食虫が出てくるのですが、検索してもその姿を見ることはできませんでした。
なんという恐ろしい虫。
以下、元町のHPから
「船食虫は、軟体動物で白色、紐状をしている。長さ三〇~四五センチになり、太さは七~八ミリにもなる。(昭和30年11月、奄美大島の沈没船から長さ1.63メートル、径約23ミリのものが見つかっている)幼虫は、面盤という円形の蓋をもつ。外形はアサリやシジミに似ている。面盤の上に、二列の繊毛が生えている。繊毛の調節で、海水のなかを器用に上昇する。下降するときは、面盤を貝殻の内部にひきこむ。石ころのように自重で下降する。潮流に上下の運動をかさねて移動する。

 獲物があると、とりついてはなれない。幼虫の貝殻は、精巧なドリルである。木材の内部に、ぐいぐい食い込んでいく。削り取った木屑は、そのまま食糧になる。体が大きくなるにつれて、穴も太くなる。穴と体の間に石灰質の棲管をつくるという、住まい作りの能力にもたける。

 一度木材のなかに食い込むと、二度と外界に出ることはない。最初に食い込んだ入り口にだしている二本の水管だけが外界との接触点である。水管はには、入水と出水の機能がある。呑んだ海水から酸素やプランクトンを吸収する。産卵の時は出水管から吐水とともに排出する。」

網屋吉兵衛の船たで場はこの船食虫を駆除するドックでありました。
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# by kobeport | 2005-11-13 21:51 | 神戸 | Comments(4)

兵庫開港-4

結局、堺を止めて兵庫に決定したのは第12回目の交渉、安政5年1月10日のことでした。
そして幕府はこの日米修好通商条約の調印を朝廷に勅許を求めに堀田正睦を上京させるが勅許はおりませんでした。
仕方なく朝廷の勅許なきままに安政5年6月19日に幕府と米国の間で調印が交わされます。
どうして勅許なきままに急いで調印しなければいけなかったのか。

ハリスは英仏が清国と戦って勝利し、そのまま日本にやってくるかもしれない、その時には自分たちが守るからその前に調印をと幕府を脅して急がせたのです。

このハリスと幕府とによる日米修好通商条約によって、兵庫の港は開港が決まり、その後神戸の街を特色づけた居留地を設けるということが決定しました。

居留地は国内の中に外国があるようなもので治外法権や屈辱的な条件がたくさんありましたがその後の神戸に与えた影響は計り知れません。

元はといえば、大阪港が京都に近いから、代わりの港はないかということで出てきた兵庫港案でしたが、神戸のエキゾチックな雰囲気を愛する者にとってこの決定は幸運なことでした。
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# by kobeport | 2005-11-12 21:00 | 神戸 | Comments(0)

ポートアイランドという街

ポーアイは若い街でした。
こんな埋めたててできたような街、海の中に防波堤のようにできた街、交通手段が一つの橋しかない街。
住宅も集合住宅しかありません。
こんな街に引っ越してくるのは若い人に決まっていました。
その頃の他の地域に比べると平均年齢はずっと若い地域だったろうと思われます。

そして若い人が多いことから、できたばかりの小学校はみるみる人数が増えていき、島の中の小学校は1学年9クラスを数え日本一の児童数を記録した時もありました。
その頃、神戸の他の地域では3クラスくらいの時です。

やがて子供たちは大きくなり、島を出て行く人も多くなりました。
そして住民も高齢化し、自分たちの親をひきとる人たちも増えました。

一方、一時期のバブルがはじけて住宅の価格が下がり、うんと若い人たちが入居するようにもなりました。
少子高齢化でどこの地域も高齢化しています。
ことさらポーアイが話題になるのは、元が若い世代の地域だったからその急速な高齢化が目立つのでしょうが、昔の状態が特別なものであって、今はやっと他の地域と同じになったのだろうと思います。

つまりこの特殊な人工の作られた島がやっと成熟し、他の地域とおなじような環境になったのだと思いました。

なおかつ、この島には入ってくるものがすぐ同化できる、何でも受け入れることができる地域の特性があります。
そのようにして育ってきた地域ですから。

ここを故郷と呼ぶことができる人たちが増えるのがとてもうれしいです。
木々も大きく育ち森のようになった小道にもでくわします。
三宮に近いこの便利さで、小鳥たちの声が絶えない自然いっぱいのこのポーアイが今では故郷だと思えるようになりました。
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# by kobeport | 2005-11-10 21:41 | 神戸 | Comments(8)