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エルトゥールル号事件と神戸

1889年、和歌山沖でエルトゥールル号が遭難します。

1887年皇族の小松宮彰仁がトルコの首都イスタンブール
(当時はコンスタンティノーブル)を訪問し、皇帝アブデュル・ハミト2世と
会見しました。
そしてその返礼としてトルコから日本に遣わされたのが軍艦エルトゥールル号でした。

無事明治天皇との会見を終え、帰途についたとき折からの悪天候で船は座礁します。
和歌山大島村の村民たちが必至で生き残ったトルコの人たちを救助します。
トルコの人たちはその恩を忘れず、語り継ぎ、現在の教科書にも載って
日本国民を今でも親しみを持って接してくれています。

以前トルコに行った時、たくさんの日本語を話す人たちに出会いました。
いや~主にお土産やさんでしたが。(#^^#)

その話は知っていたのですが、神戸が関係していたとは知りませんでした。
現在、文書館でその時の様子を詳しく展示しています。

救助されたトルコの人たちは日本の商船や軍艦に乗せられ神戸にやってきます。
兵庫県知事からの報告では69名の生存者のうち、47名が重軽傷を負っていました。
当初、負傷者は皇室と縁の深い東京の慈恵病院に搬送される予定でしたが
最終的に兵庫県知事の判断で全員神戸にとどまることになりました。

神戸では当時あった和田岬の検疫所が病室と治療室に当てられ
各病院からの医師、看護師が治療にあたりました。

治療が終わり日本から軍艦金剛・比叡の2艦でトルコまで送り届けることに
なりました。
神戸を出港したのは10月11日のことでした。

神戸の検疫所は和田岬の先端の和楽園の北側に「消毒所」とあるところの
ようです。


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エルトゥールル号で遭難され、神戸で治療を受けられた方々の写真です。


by kobeport | 2017-08-17 21:03 | 神戸 | Comments(0)