2016年 12月 06日
神戸ゆかりの有名人 高田賢三さん
出身、当時の住まいは姫路でしたが、電車で神戸に通い夜学で
神戸外国語大学に通われたそうです。
昼間は義理のお兄さんの紹介で神戸の貿易会社で働いておられました。
朝6時に家を出てから神戸に向かい、神戸で大学、仕事と大半の
時間を費やして毎日を送られたようです。
神戸での仕事は玩具を輸出すること。
神戸は玩具などをたくさん輸出していました。
街を歩くとクリスマスツリーの装飾品など細々したものがよく店先で
売られていました。
実際、私のご近所でもクリスマスツリーの小さな飾りつけを組み立てる
内職のようなものもありました。
もともと高田さんは海外への興味からこのような仕事をされていたのですが
仕事の内容は玩具の箱詰めや電話の応対ばかりで、興味の対象では
ありませんでした。
通学途中の電車の中の広告で文化服装学院の募集を知り
男子も服装学院に入学することを知り、神戸外国語大学を中退します。
姫路の自宅近くの勤めに移り、資金をため東京の洋裁学校に通う
目的のために上京します。
高田賢三さんの若い頃、この神戸で過ごされ彼の作品に何らかの影響が
あったなら本当にうれしいです。