2010年 12月 09日
鈴木商店のこと
鈴木商店ですが、神戸で栄町一帯で大きくなっていきました。
本社は栄町周辺であちこち移転していますね。
1906年(明治39年)ミカドホテル新館(相生町)を取得
このミカドホテル新館が焼き打ちにあうのですが。。。
1909年(明治42年)には「神戸市要覧」によりますと、
直営6工場がありました。
(1)葺合町「樟脳製造所」
(2)旭通4丁目の「樟脳製造所」
(3)磯上通4丁目「薄荷製造所」
(4)雲井通5丁目「精製樟脳製造所」
(5)北本町1丁目「魚油精製所」
(6)脇浜町2丁目「神戸製鋼所」
このうち雲井通5丁目の「精製樟脳製造所」は金子直吉の新婚時の住まい。
会社が大きく成長していくのにいつまでもこの2階で暮らしていたといいます。
ここは鈴木の樟脳の製造販売を一手にあずかる部署だったそうで
薄荷の匂いが充満していたそうです。
雲井通5丁目を調べてみると今のサンパルが建っているところあたりです。
う~ん、ここが金子直吉さんの夢の跡!
この樟脳製造工場は、「松方・金子物語」によりますと、もともと大阪の
住友がつくったものを交渉の結果、天下の住吉も樟脳は鈴木だと
潔く金子の方に譲渡したとあります。
雲井通り5丁目の樟脳工場は、日本樟脳神戸工場、後に日本精化株式会社と名を
変え、本社は大阪で現在もあります。
日本精化株式会社
会社の前を歩くと、ほんのりハッカ(メントール)の香りがします。
この会社の前を何度も通りました。
そうだったのですか~
確かに薄荷の匂いがしていました。
珍しいなと思いながら歩きました。
調べてみますと鈴木薄荷株式会社は鈴木商店が
倒産したあと、薄荷部門を受け継いで設立と
ありました。
取引先には鈴木商店の流れを汲む会社の名前も
ありました。
今もつながっているのだと感動しました!
が参考になるだろうと私は推測します。
勿論、昭和35年5月に発行された本ですから、
の後のことはこの本では分らないと思います。
その後の現状は御調べの通だと思い関心があります。
思いながらまだ読んでいません。(泣)
是非読んでみたいと思います♪
ありがとうございます。
「商社の源流 鈴木商店」で煙突男・金子直吉が
どのように次々新しい事業に突進していったかを
読んで面白かったです。
「お家さん」も面白くて2回も読んでしまいました~
\(^o^)/