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戦前の神戸とかかわった外国人 その2

「北野町山本通伝統的建造物群保存地区30周年」
記念講演会の田村恵子先生のお話「神戸に生きた英国人たちの光と影」
から。

②メリー・キルビー
エドワード・キルビーは横浜から神戸に来ました。
神戸の小野浜(先日オープンしたみなとのもり公園あたり)で堵殺場を
作り、神戸から横浜へと牛肉を送る仕事をしていました。
そのうち、小野浜で造船所を作り、海軍と手を組んで船を作ろうとしたが
横浜でピストル自殺を遂げます。

アルフレッド・キルビーはエドワード・キルビーの甥にあたります。
神戸に来るまではインドのカラチで働いていました。
彼はフリーメーソンの会員で、一時大津にいたときに
日本人の女性と知り合い子供ができました。
姉がメリー・キルビー 妹がエミー・キルビー。
妹のエミー・キルビーは盲目でした。

メリー・キルビーの写真は2枚残っていて、一枚目は日本人のお母さんと
手をつないでいる写真です。
そして2枚目は18歳の時の写真で、これはイギリスで撮影されたものです。
彼女たちがどんな生活をしていたかは、なんと今インターネットで
調べることができるらしいです。
イギリスの国勢調査は100年たつと公開され、1901年の国勢調査で、
彼女たちはイギリスで、父方のおじいさんとおばあさんと一緒に暮らして
いたことがわかりました。

彼女たちの父親はトアホテルの筆頭株主でしたが、川崎造船が
トアホテルを買収した時に株を売ってしまいました。
戦後、暮らしに困っているとき、フリーメーソンが手を
さしのべました。

小松氏の絵に「桃色の家」というのが描かれていますがここに彼女たちが
住んでいたようです。
ハンター坂の一番下くらいのところです。
小松さんの話でイギリス人の姉妹がそこに住んでいて妹の方は
盲目だったという記録が残っているので、この姉妹のことだろうと
いうことでした。
そしてこの家を売って建てたのが今も現存する神戸外国人倶楽部の
中にあるキルビーホールです。

キルビーホールはフリーメーソンの集会所になっています。
by kobeport | 2010-02-09 22:04 | 神戸 | Comments(0)